今日は「舟形神輿を拝観 夏の利根運河めぐり」でした。

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今日は「舟形神輿を拝観 夏の利根運河めぐり」でした。
「みなさんは「深井」という土地の名が江戸川を挟んで、埼玉県にもあるのを知っていますか? 江戸川も利根運河と同様人口の水路で、野田市と埼玉県春日部市の「法珠花」という地区が東西に分かれてあるのも同じ理由です。…」歴史研究家の青木更吉さんが江戸川の「深井新田の渡し跡」でお話しをされました。
江戸川と利根運河の接点付近に建てられた利根運河会社の建設工事によって、今の六社神社の地に移転したという大杉神社の夏の祭礼では、川と共に暮らす人々の暮らしの無事、五穀豊穣を祈り、玉串がささげられました。流山市内ではここだけと言われる船の形の神輿大小2体がお社から出され、神主さんのご祈祷の後、住民たちは杯を交わしました。
青木さんは何年もの間この地の方の話を聞き、今年4月に出版された『歴史ロマン利根運河』に「運河のほとりになぜ船形神輿があるのか?」を書きました。
利根運河交流館に戻ってからの座学では参加者からのたくさんの質問に、参加者同士が意見を交わす場面もありました。境内にあった庚申塔の話、利根運河の土手の高さの変遷や、開削当時の運河沿いのお店の中の「煮汁屋」とは何か?など、「流山市史別館利根運河資料集」等館内の書物に照らして説明くださいました。
青木さんと参加者との地域のお話は尽きませんでした。
そして深井新田の土地とみなさんがこれからも豊かであることをお祈りします。参加くださいました皆様もありがとうございました。